子どもを亡くすこと。

それは、言葉では表現できないほど深い悲しみです。

「なぜ、この子だったのだろう。」
「もっと何かできたのではないか。」
「私が代わってあげたかった。」

そんな思いが何度も胸をよぎり、時間が止まってしまったように感じる方も少なくありません。

保健師として多くの方の喪失に寄り添ってきた中で、そして私自身も母と従兄弟を立て続けに乳がんで亡くした経験から感じるのは、悲しみは「忘れるもの」ではなく、「抱えながら生きていくもの」だということです。

グリーフケアとは、悲しみを消すことではありません。

その人がその人らしく悲しみを抱えながら、生きていけるよう支えることなのです。

エリザベス・キューブラー・ロスが伝えた「命」の意味

世界的な精神科医であり、グリーフケアの第一人者であるエリザベス・キューブラー・ロスは、『人生は廻る輪のように』の中で、命についてこのように語っています。

学ぶために地球に送られてきたわたしたちが、学びのテストに合格したとき、卒業がゆるされる。

未来の蝶をつつんでいるさなぎのように、たましいを閉じこめている肉体をぬぎ捨てることがゆるされ、ときがくると、わたしたちはたましいを解き放つ。

そうなったら、痛みも、恐れも、心配もなくなり、美しい蝶のように自由に飛翔して、神の家に帰っていく。

そこでは決してひとりになることはなく、愛した人たちのそばにいて、想像を絶するほどの大きな愛に包まれて暮らす。

いのちの唯一の目的は成長することにある。究極の学びは、無条件に愛し、愛される方法を身につけることにある。

この言葉は、医学的な説明ではありません。

ロス医師が、何千人もの死にゆく人や、その家族に寄り添い続けた中でたどり着いた、一つの人生観、そして死生観です。

この考え方に救われる方もいれば、今は受け入れられないと感じる方もいるでしょう。

どちらも自然なことです。

悲しみの中では、どんな言葉も心に届かない日があります。それでも、いつか必要な時に、この言葉がそっと寄り添ってくれるかもしれません。

「どうして子どもが死ななくちゃいけないの?」

ロス医師のもとには、余命3か月と宣告された9歳の少年、ダギーから一通の手紙が届きました。

そこには、こんな問いが綴られていました。

大好きなロス先生

いのちって何ですか?
死ぬってどういうこと?
どうして子どもが死ななくちゃいけないの?

愛をこめて
ダギー

この問いに対し、ロス医師はこう返事を書きました。

「ほんの短いあいだだけ咲く花もあります。
春が来たことを知らせ、希望があることを知らせる花だから、みんなからたいせつにされ、愛される花です。
そして、その花は枯れます。
―でもその花は、やらなければならないことを、ちゃんとやり終えたのです。」

この言葉は、「子どもが亡くなることには意味がある」と断言しているわけではありません。

「悲しまなくていい」と言っているわけでもありません。

ただ、命の長さだけでは測れない、その子だけの役割や、その子が周りの人に残してくれた愛や希望があるのではないかという、一つの見方を私たちに示してくれています。

悲しみは、愛した証

子どもを亡くした悲しみは、決して消えるものではありません。

月日が経っても、誕生日や命日、季節の移り変わり、ふとした日常の中で涙があふれることがあります。

それは弱いからではありません。

それほど深く愛していた証です。

泣いてもいい。

笑えない日があってもいい。

「前を向かなければ」と無理をしなくてもいいのです。

大切なお子さんへの愛は、亡くなったあともなくなることはありません。

形を変えながら、これからもずっと心の中で生き続けます。

最後に

今、この文章を読んでくださっているあなたへ。

もし今日がつらい日なら、どうか今日一日だけを生きることに意識を向けてみてください。

未来のことまで考えなくても大丈夫。

悲しみを急いで乗り越える必要はありません。

思いきり悲しんでください。

 

あなたのお子さんは、たくさんの愛を受け取り、そしてたくさんの愛を残してくれました。

その愛は、これからも決して消えることはありません。

そして、あなたもまた、一人ではありません。

悲しみを語れる場所、寄り添ってくれる人、専門家の支えを借りながら、一歩ずつ歩んでいくことができます。

あなたの悲しみが否定されることなく、大切に抱えながら生きていけるように願います。

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